Ambassador : サッカー小林祐希Yuki Kobayashi
1992年4月24日生まれ。東京都出身。東京ヴェルディ下部組織を経て、2011年にトップチームへ昇格すると、クラブ史上最年少でキャプテンを務めた。その後、ジュビロ磐田に移籍し、司令塔としてチームを牽引。16年夏からオランダ1部のヘーレンフェーンで3シーズンプレーし、ベルギーのワースラント=ベフェレンを経て、20年9月にカタール1部のアル・ホールに新天地を求めた。全日本代表選手として国際Aマッチ8試合出場1得点。

かつてナイキのスパイクを長年履いていた全日本代表の小林選手だが、今季より昨年3月にBMZ社(以下BMZ)が発売したスパイク「蹴王」を履き、インソールも同社の製品を使用している。BMZは元々、群馬に拠点を構えるインソールメーカーだが、スパイクに関しては開発したばかりで、まだまだ珍しさは否めない。
どういうキッカケで履くことになったのでしょうか?
「BMZを知ったのは、19年オフに南葛SCの練習に参加させてもらった際に青木剛選手(元鹿島アントラーズなど)が代理店(インソール専門店・アシスタート/鹿嶋市)をやっていると聞いたときです。その後、メーカーの関係者にお会いする機会があって、ちょうどそれまで履いていたメーカーとの契約も終わったタイミングだったので、履いてみることにしました。BMZのスパイクは発売からあまり時間も経っていないので、まだ試行錯誤の段階かもしれません。ただ、一般的にどのメーカーのスパイクでも初めて履いたときにピタッと合うことはないのですが、『蹴王』はめちゃくちゃ足にフィットする感じがありました。最近は合成皮革のスパイクがほとんどですが、やっぱり天然のカンガルー皮は柔らかいし、足に馴染みます。やっぱり、人間の体の構造を考えて作られたスパイクだけに履き心地はいいですよ」
BMZのインソールは、足本来の機能を引き出すことを目的に開発され、簡単に言うと足の甲の外側=薬指と小指の付け根付近にある「立方骨」という骨をしっかり支え、土踏まずにアーチを作ることで、足の指に力を入れやすくする構造になっているそう。
「固定される部分(立方骨)がしっかり固定されることで、指を含めて、足の機能がより発揮できるってことですよね。サッカーって極端に言えば0、1秒でも相手より速く、1センチでも相手より高く飛べたらいいわけで、その小さな差が最後に点差として表れるスポーツです。だから、自分の体の機能を最大限発揮できるかが、どれだけ試合に影響してくることか。
スパイクはもちろん、インソールで足をどう支えるかということは、ケガの防止や疲労回復にもつながってきます。BMZは元々インソールを作ってきた会社ですし、日本代表選手でも他社のスパイクを履きながらインソールだけBMZを使ってる選手もいるみたいですね」
サッカー選手にとってスパイクは‟命”ともいえ、選手それぞれがこだわりを持って選ぶもの。機能性はもちろん、ビジュアルも大事になる。
「見た目のカッコよさは大事です。最近はピンクや黄色、青などのカラフルなスパイクも多いなか、『蹴王』は全体が黒か白のクラシックなスタイルで僕は好きです。しかも、市販のモデルでもたとえば同じ26センチのなかで、幅(ワイズ)をスリム、ミディアム、ワイドの3種類のなかから選ぶことができます。僕はスリムかミディアムを履いていますが、人それぞれ好みは違いますし、選択できるのはいいですよね」
BMZのインソールは、足本来の機能を引き出すことを目的に開発され、簡単に言うと足の甲の外側=薬指と小指の付け根付近にある「立方骨」という骨をしっかり支え、土踏まずにアーチを作ることで、足の指に力を入れやすくする構造になっているそう。
「固定される部分(立方骨)がしっかり固定されることで、指を含めて、足の機能がより発揮できるってことですよね。サッカーって極端に言えば0、1秒でも相手より速く、1センチでも相手より高く飛べたらいいわけで、その小さな差が最後に点差として表れるスポーツです。だから、自分の体の機能を最大限発揮できるかが、どれだけ試合に影響してくることか。
スパイクはもちろん、インソールで足をどう支えるかということは、ケガの防止や疲労回復にもつながってきます。BMZは元々インソールを作ってきた会社ですし、日本代表選手でも他社のスパイクを履きながらインソールだけBMZを使ってる選手もいるみたいですね」
サッカー選手にとってスパイクは‟命”ともいえ、選手それぞれがこだわりを持って選ぶもの。機能性はもちろん、ビジュアルも大事になる。
「見た目のカッコよさは大事です。最近はピンクや黄色、青などのカラフルなスパイクも多いなか、『蹴王』は全体が黒か白のクラシックなスタイルで僕は好きです。しかも、市販のモデルでもたとえば同じ26センチのなかで、幅(ワイズ)をスリム、ミディアム、ワイドの3種類のなかから選ぶことができます。僕はスリムかミディアムを履いていますが、人それぞれ好みは違いますし、選択できるのはいいですよね」
小林祐希選手とサッカーの出会いは幼稚園の年中時に
通っていた東京・東村山市の幼稚園に、スクール(JACPA)のコーチが派遣されてきてボールを蹴ったことがキッカケだった。
ガムシャラにリフティングに明け暮れた幼稚園時代。そして、小学生の頃から備わっていた負けん気の強さは、小林選手がサッカー選手になるための原点だったといえる。
「当時はリフティングに夢中で、10回できるようになったら次は30回、次は50回、次は100回というように、毎日記録を超えていくのを楽しんでいました。小学校に入る頃には1000回はできるようになっていて、そうなると回数は数えなくなってしまいましたが…。小学校低学年の頃は、JACPAのスクールとサンデーSCというクラブを掛け持ちして、暇さえあればボールを蹴っていました。初めてのセレクションは小学4年生のとき。JACPA東京FCに入るための選抜テストで50~60人のなかから、約20人が選ばれました。緊張? まったくしなかったですね。100%選ばれる自信がありましたし、自分がいちばん上手いと思っていましたから(笑)」

そんな小林選手が、現在所属するのはカタール1部リーグのアル・ホールSCである。16年夏に、ジュビロ磐田からオランダのヘーレンフェーンに戦いの場を移した小林選手はオランダで3シーズンを過ごすと、昨季はベルギーのワースラント=ベフェレンでプレー。今シーズンもベフェレンでシーズンのスタートを切ったが、20年9月にアル・ホールへの移籍が発表された。
中東のカタールは、22年W杯の開催国ではあるものの、そのリーグについてはあまり知られていない。小林選手も当初は、欧州でプレーを続けることを希望していたが、なかなか自身の希望に合致するクラブが見つからず、思い切って新天地にカタールを選んだという。
「できればヨーロッパ内でステップアップしたいと思っていて、実際にスペインやイタリア、ドイツやフランスのクラブなどから話もありました。ただ、いまはコロナ禍でどこも経済的に厳しく、自分の条件に合うようなクラブが見つからなくて。そんなときに、アル・ホールからオファーがありました。カタールのリーグのことは何も知らなかったですが、日本人選手が誰もいない国だし、挑戦してみようと直感で決めました」
カタールでのデビュー戦となったリーグカップのカタールSC戦(2020年10月13日)では、いきなり直接FKを決めるなどチームの勝利に貢献する好スタートを切った。だが、肝心のリーグでは主にボランチとしてここまで11試合(1月15日時点)に出場しているものの、12チーム中11位と苦しい戦いが続いている。
「カタールに来て、改めてヨーロッパのクラブは戦術や目指すサッカーがしっかりしていて、各ポジションの役割もシステマティックに決まっていたんだなと感じています。実際にオランダやベルギーでプレーしていたときは、戦術に縛られすぎて自分のやりたいプレーができないと思うこともありました。でも、アル・ホールは逆に自由過ぎてバラバラになってしまっていることも少なくないですから(苦笑)。
結果が出なくて、イライラしてしまうこともあります。ただ、カタールにはシャビ(元スペイン代表でバルセロナのレジェンド)が監督を務めるアルサッドの元スペイン代表MFカソルラやアルドゥハイルへ移籍してきた昨季Jリーグ得点王のオルンガなど高額の移籍金とともにやってきたレベルの高い外国人選手も多く、上位には力のあるチームもあります。そんななかボールを持てる時間が短かったり苦しい状況もありますが、自分ができることを探しながら必死にやっています」
結果が出なくて、イライラしてしまうこともあります。ただ、カタールにはシャビ(元スペイン代表でバルセロナのレジェンド)が監督を務めるアルサッドの元スペイン代表MFカソルラやアルドゥハイルへ移籍してきた昨季Jリーグ得点王のオルンガなど高額の移籍金とともにやってきたレベルの高い外国人選手も多く、上位には力のあるチームもあります。そんななかボールを持てる時間が短かったり苦しい状況もありますが、自分ができることを探しながら必死にやっています」
~次号 coming soon
インタビューについて「来年のW杯に向けて‥‥」